お母さん。

2005年8月8日
あのね、お母さん。
私は、好きな事をやるために、やりたい事をやるために、
今も、独りで居るんじゃないんだよ。

生きる意味が、意義がないから、必死で夢中になれるものを、
常に 捜してるんだ。
仕事だって、趣味だって、結局、生活そのものだって そう。

唯、少し、不器用で、少し頑張り屋なだけだよ。
生きる意味の乏しい日々は、虚しさだけしか 残らない。
生きる意義が思いつかない日々は、くだらない。
細胞だけが、動いてる、それを生きると いう事?

快楽を追求して、満足を得る為に、はまり込んでいる訳じゃない。
生きる意味を、意義を 作り出す為に、こうして人生 ほっつき歩いているんだよ。
唯ね、「人」や「誰か」に、はまれないだけの事。
唯ね、誰かを必要だと思う以前に、誰かに必要とされれば、期待に応えようと、しているだけ。

「愛」を与える恐怖は、「愛」を失う恐怖。
「愛」を求める欲望は、「愛」を奪う欲望。
「愛」は平等でなく、「愛」は的外れ。

貴女が与える「愛」は、試練。
貴女が提示する「愛」は、自己満足。
貴女が誇る「愛」は、常に偏り 傲慢。

そんな「愛」など、要らなかった。
そんな「愛」など、知らなければ 良かった。
そんな「愛」で、学べたモノは、孤独の心地良さと、虚しさだった。

貴女の「愛」は毒、孕んだ瞬間から、慣らされてきた毒。
貴女の「基準」は試験薬、常に試され、断される試験薬。
貴女の「言葉」は暴言、幾ら 交わした処で、突き刺さる暴言。
貴女の「脳」は利己的、放つ言葉を、還して憶えない脳。
貴女の「態度」はあからさま、我慢を知らない、身勝手な態度。

これが、「母」というならば、これが「女」というならば、
躊躇せざるを 得ないのは、「環境」なる毒に侵され、麻痺した自分。
時よ、早く 終れよと。
生よ、早く 終れよと。
未だ、拭えぬ、幼き頃よりの、心願。

あのね、おかあさん。
ワタシは、アナタのハラから ウマレタけれど、
ワタシは、アナタじゃ、ないんだよ。

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